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ヨーロッパではいつからお茶を飲んでいた?
~大航海時代とお茶の世界進出~

2025/04/12 一服のお茶のような話 古幡祐介

ヨーロッパではいつからお茶を飲んでいた? <br>~大航海時代とお茶の世界進出~


ヨーロッパではいつからお茶を飲んでいた?~大航海時代とお茶の世界進出~

お茶は中国が原産国。中国を始め日本などアジアの国々のお茶の歴史はとても古いものです。
しかし、ヨーロッパでもお茶はとても人気のある飲み物です。それではいつ頃からヨーロッパでお茶が飲まれるようになったのでしょう。
調べてみると話は大航海時代に遡ります。
今回はそんなお茶がヨーロッパや世界に広がった大航海時代の歴史について見ていきたいと思います。


ポルトガルとお茶の出会い

欧州の国で最初にお茶に出会ったのはポルトガル人だと言われています。
ポルトガルは大航海時代の先駆けのような存在でした。

オスマン帝国(現在のトルコ)が台頭すると、それまでアジアから来る様々な物品をヨーロッパに運んでいた陸路が封鎖されてしまいました。
その対策として欧州各国が海に乗り出していくのが大航海時代です。
ポルトガルはこの状況にいち早く船を出し、欧州の国で最初にアフリカを回ってインドに到達する航路を発見すると、インドや東南アジア等の国々と貿易を始めました。
有名な探検家ヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットにたどり着いたのが1498年の出来事なので、お茶との出会いはその頃です。

もちろんポルトガルは日本とも貿易を行っていました。
当時の日本は戦国時代。
鉄砲を初めて日本の種子島に持ち込んだのはポルトガル人でした。
日本はヨーロッパから来た鉄砲の性能に驚いていましたが、ポルトガル人は日本人がお茶の為の器や建物に莫大なお金を払うことにとても驚いたと記録されているそうです。

ポルトガルは中国や日本でお茶の価値を耳にしてはいたのですが、
自国に持ち帰る貿易の商品としては見ていなかったようでした。

日本で有名なポルトガルから来た人物といえば、フランシスコ・ザビエルがいます。ブログ冒頭の画像『発見のモニュメント』の中にもそんなザビエル像もあるのだそうですが、彼を始めとしてポルトガル人が命がけの航海でアジアに来た目的として、貿易だけでなくキリスト教の布教活動もありました。
そんな布教活動がのちにその後の日本との関係にも影響していきます。


オランダとお茶の出会い

欧州の国で最初にお茶を購入し持ち帰ったのはオランダ商人だとされています。
オランダは大航海時代の中ではポルトガルやスペインと比べ一歩出遅れた存在でした。
しかし、ポルトガルが熱心だった宗教の問題で状況が変わります。

ポルトガルやスペインはキリスト教カトリックの国。この大航海時代の最初の主役の2か国が他の宗教を異端として迫害した為、多くの難民が発生します。
その難民達は、宗教に寛容だったオランダを避難先に選びました。
その難民の中にはユダヤ人が沢山いたそうなのですが、ユダヤ人は優秀な商人が多く、資金力がありました。そのためオランダは一気に裕福な国になっていきます。
そんなユダヤ人がスポンサーとなって多くのオランダ船が海に乗り出していきました。
その結果、衰退していくポルトガル・スペインに加えて、オランダが世界で活躍し始めます。

一方の日本は江戸時代になって平和になったのですが、スペイン・ポルトガルがその熱心すぎる布教活動によって世界中で引き起こすトラブルを見て、徳川家は日本での布教活動を許しませんでした。
そのため有名な「鎖国」を行う事になるのですが、実は鎖国には例外がありました。
唯一日本と貿易を許された例外がオランダだったのです。
なぜなら前述の通り宗教に寛容だったオランダが日本で布教活動を行わなかったからです。

こうしてオランダと日本は様々な物品を取引するのですが、その中にお茶もありました。

ちなみに当時アメリカはオランダ領。
ヨーロッパだけでなく、ニューアムステルダム(後のニューヨーク)にもこの頃お茶を飲む習慣が伝わったのだとか。


ヨーロッパとお茶の出会い

そもそも大航海時代というのは、ヨーロッパから一攫千金を夢見た冒険家や商人、学者といった人々がアジアを目指しました。
そしてアジアには当時のヨーロッパにはない魅力的な物が沢山あり、それを持ち帰ったのです。
これによりいわゆる「シノワズリー」(フランス語で「中国趣味」のこと)という流行が起こりました。
今までにないアジアの芸術品や物品がヨーロッパでブームになったのです。
お茶や茶器もそんな東洋の神秘の象徴でした。
この時代の貿易を通してお茶文化がヨーロッパに伝わっていったのです。

ヨーロッパの中で最もお茶好きで有名なのがイギリスです。
イギリスはポルトガル王室から嫁いできたプリンセスがお茶を持ち込んだことがきっかけで、お茶が流行しました。このブログをここまで読んだ方なら、なぜこのポルトガルのお姫様がお茶を持っていたかお分かりになるかと思います。
そしてその「お茶が流行する国」で産業革命が起き、裕福な庶民が生まれ、そういった人たちが普段からお茶を飲むということが習慣になっていきました。
一般庶民がお茶を飲むようになったのには、お酒に代わるものとして求められたという理由もあるそうです。


お茶がヨーロッパに与えた影響

こうしてお茶がイギリスを中心にヨーロッパで流行すると、消費量は膨大になります。そこでオランダやイギリスは自らの植民地でお茶を栽培するなど、植民地の活用を始めたのでした。
また、ヨーロッパにいち早くお茶を運ぶ為に、造船技術や航海技術が進歩したのだそう。

さらにお茶がこの後戦争を招いたのは以前のブログでも書いた通りです。
大英帝国とお茶~お茶がなければアヘン戦争はなかった!?~
ボストン茶会事件~お茶がなければアメリカ独立はなかった!?~

お茶の魅力は海を越えて広まっていったのでした。
ヨーロッパを虜にしたお茶、そんなことを考えながらお茶を飲んでみるのはいかがでしょうか。