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「健康オタク」徳川家康とお気に入りのお茶|1899 CHACHACHA BLOG

2023/09/23 心の旅の話 古幡祐介

「健康オタク」徳川家康とお気に入りのお茶|1899 CHACHACHA BLOG


「健康オタク」徳川家康とお気に入りのお茶

徳川家康は乱世を終わらせ、200年以上の平和な江戸時代の礎を築いた戦国の英雄です。現在NHKの大河ドラマでも主人公となっていますが、度々ドラマや漫画にも登場し、様々なイメージがあると思います。家康と信長、秀吉をいわゆる「三英傑」と呼ばれ比較されることが多いですが、「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」と後世で詠われた様に、家康は忍耐強い、三英傑の中で最も長生きしました。健康長寿で戦国時代を長く生き残ることで最終的に勝利者になったというのが私の中の徳川家康像です。(松潤はかっこよすぎるのでは…?)

家康について調べていくと、食事や運動に気を使っており、医学を学び自ら薬を調合するなどかなりの「健康オタク」であったことが伺えます。
今回のブログはそんな「健康オタク」徳川家康のこだわりと彼のお気に入りだったお茶について学んでいきたいと思います。

健康オタクだった徳川家康

家康の食事のこだわり

医食同源という言葉がありますが、家康は食事にこだわりがあった様です。基本は粗食でしたが、肉や魚も大好物。主食は白米ではなく、麦飯を食べていたそう。ある日家臣のひとりが殿のためにと家康のお茶碗に白米を混ぜたところ、家康はその家臣を怒ったと言われています。白米は贅沢なのでよくないと思ったのでしょうか?白米は玄米からもみ殻、ぬか、胚芽を取り除いたものですが、栄養のあるこれらをとってしまうなんてもったいない!と思ったのかもしれません。理由は不明ですが、麦は白米よりタンパク質やビタミンが豊富で身体にいいというのは間違いのない事実です。

他には家康の地元三河の特産品、八丁味噌も好んで食べたと伝えられています。八丁味噌は豆と水だけで作られています。大豆にはトリプトファンが豊富に含まれていて、これは「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンの元になり、心が落ち着いて気持ちが前向きになると言われています。

また、食べ方にもこだわりがあり、家康は1口食べたら48回は噛んだそうです!
これを実践している現代人は果たしているでしょうか…
「よく噛んで食べる」これが健康の秘訣だったのかもしれませんね。

家康の運動

家康は健康のため、運動も欠かすことはありませんでした。
ブログ冒頭の画像は左腕に鷹が乗っていますが、駿府城にある鷹狩に行く家康をモデルにした像です。家康は鷹狩がとても好きで、幼い頃から亡くなる3か月前まで何度も行っていた様です。
鷹狩は現代でいうとゴルフと射撃を合わせた様な動きをしますので、野山に入り足腰が鍛えられます。戦の直前にも鷹狩をしていた家康が家臣に咎められた際、健康維持の為でもあると弁明したと伝わってます。

家康は水泳も得意でした。水泳は子供の頃から69歳になっても軽快に泳いだという記録が残っているほどの特技だった様です。当時の水泳は現代の水泳方法とは違い、鎧などを着たままで泳ぐことを想定した古式泳法でした。洋式のクロールや平泳ぎと比べるとスピードは出ないですが、少ない力で長い距離を泳ぐことができたと言われています。
「継続は力なり」。家康の長寿の秘訣かもしれません。

家康の医薬知識

家康は医学、薬草等の分野の知識があり、自ら学んでいたそうです。『和剤局方』『本草綱目』といった中国の書物を愛読し、駿府では薬草園を作って薬草を栽培し、自ら漢方薬を調合していたと言われています。
また、珍しい鉱物や動植物を目にした際には『本草綱目』と照らし合わせ、薬として効能がないか調べていたそうです。
お茶葉はその昔中国で、解毒の効果のある薬草として食べられていたそうです。もしかしたら家康はお茶の健康効果にも注目していたのかもしれませんね。

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徳川家康お気に入りのお茶

大御所となり、徳川家康が晩年を過ごした静岡県の駿府城。隠居した家康は、駿府城にほど近い産地の本山茶(当時は安倍茶と呼ばれていたそう)がお気に入りであったといわれます。
なかでも家康が好んだのが、山間地で熟成されたお茶。家康は美味しいお茶が飲みたいと、峠にお茶を保管するためだけの蔵「お茶壺屋敷(お茶蔵)」をわざわざ建て、茶壺に詰めて茶を保管していたそうです。夏の間、涼しい蔵で暑さから守られることでじっくりと熟成されたお茶は、渋みがほどよく抜けて、まろやかな味わいになるそう。夏が終わり9月頃になるとその熟成されたお茶を峠から駿府城まで山道を運ばせて、豊かなお茶の風味を楽しんだそうです。これが熟成茶の始まりと言われています。

さらに家康は駿府城を作る際、城下町の区画整理でお茶の取引を専門とする町「茶町(ちゃまち)」を作っています。その場所は茶畑の近くではなくお城の本丸城門にほど近いところで、家康がいかにお茶の流通に力を入れていたかを伺うことができます。茶町にはその名残から今でもお茶屋さんが多くあるそうです。

お茶も家康の健康長寿の秘訣の一つだったかもしれませんね。

1899に家康風リラックマ登場

さて、そんな徳川家康に扮したリラックマとのコラボ企画が来月10月2日(月)よりレストラン1899お茶の水で開催されます!千代田区観光協会の観光大使を務めるリラックマが、徳川家康が天下普請した江戸城にちなみ、「徳川家康風」に変身しています。そんな“家康風リラックマ”とコラボしたディナープラン「家康風リラックマ・ハイティープラン」が期間限定で登場します!リラックマやその仲間たちと一緒に、ディナータイムを楽しむことができます。

テキスト

こちらのハイティープランでは、家康風リラックマラテと家康風コリラックマラテの選べる2種類のドリンクが登場するのですが、それぞれ家康ゆかりの食材を使用しています。
家康風リラックマラテは煎茶を使用したラテなのですが、先にもご紹介した家康お気に入りの本山茶を使用しています。中には小粒の白玉と黒蜜が入っており、リラックマの大好きなお団子のような甘味と食感も楽しめます。
家康風コリラックマラテはリンゴがほんのり香る和紅茶ラテです。中には白玉ときな粉が入っており安倍川もち風味になっているのですが、実は「安倍川もち」という名前は徳川家康が命名したという説があるんです!『耳嚢(みみぶくろ)』という江戸時代の随筆にその逸話が出てきます。こちらも家康お気に入りの味だったかもしれませんね。

こちらの「家康風リラックマ・ハイティープラン」ではこの他にも家康風リラックマとコラボしたお料理が登場します。
この機会にぜひレストラン1899お茶の水にお越しください。