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持つ豊かさ・持たざる豊かさ|1899 CHACHACHA BLOG

2022/07/02 ゆるやかな時間の話 南郷恵珠

持つ豊かさ・持たざる豊かさ|1899 CHACHACHA BLOG

皆さんこんにちは。異常なまでに暑い日が続いておりますが体調など崩されておりませんでしょうか。先週末、家のすぐ近くで玄関先に打ち水をしているお宅を見かけ、夏だなぁとその光景から涼を感じました。

さて皆さん、突然ですが皆さんの考える“豊かさ”とは何でしょうか。先日、ホテル1899東京にお泊りになられたご年配のゲストとの会話から豊かさについて考えるきっかけをもらったので、今日は豊かさについて、ゆるやかに綴ってまいります。

豊かさを教えてくれた方

そのゲストというのは上品な女性で、和服まで着ていないもののお洋服に和の要素が入っており、1899の雰囲気に合っているなぁと勝手ながら感じていました。
この春から始まった朝のティーカウンター(これまではチェックイン以降の午後から夜まででした)にてその方にお抹茶をお出ししたあと、お土産品を選ばれているときに急に話が膨らみました。ティーカウンターのすぐ後ろにあるショップでは、販売している茶器が沢山ディスプレイされているのですが、「これはどこの作家さんのですか」と尋ねられ、普段そうした聞き方をされることは少ないので、焼き物の産地などではなく作家さんを軸にお道具を選ばれる方なのだな、とその方のこだわりを察しました。

想像を遥かに超える「和暮らし」

そして同じくホテルの2階には、ショップのディスプレイと並んでライブラリコーナーがあるのですが、その方はお土産選びの途中でショップの商品のすぐ上にあったライブラリの本を手に取られ、興味深くめくられました。その本は、和の道具(特に調理器具)の手入れ方法がいくつも紹介されているものだったのですが、「まぁ!」「この本いいわね」「私も和のものをよく使うから」と私に教えてくださいました。

元々調理器具も和のものも大好きな私はすぐに食いつき、「普段はどんなものをお使いになられているんですか」と聞いてみました。すると、想像を遥かに超える暮らしをされている方だと判明したのです。

自分一人のために鰹節を削る時間

お話を伺ってみると、
・ご飯は土鍋で炊いてお櫃(ひつ)に移してからお茶椀に盛っていただく
・お鍋やフライパンは全て銅か鉄のもの、テフロンなんて一つも持っていない
・ホーローも以前は持っていたが使わなくなった
・竹かごも大好きで、気に入った作家さんのものは2年待ちでも買おうか迷ってしまう
・鉄瓶でお湯を沸かしているので貧血にならない
・お弁当は曲げわっぱのお弁当箱を使っている
・鰹節は自分で削っている
・鰹節削りは嫁入りの時に買ったものを刃だけ取り替えて使い続けている
などなど、令和の時代にここまで丁寧な暮らしをされている方がまだいらっしゃるなんて…とただただ驚き、圧倒されてしまいました。

「お台所に立っているだけで楽しくて一日が終わっちゃうわよ」と目を輝かせて話される姿に、本当に楽しいのだろうなぁとなんだか私までウキウキしてしまいました。

お話を伺ってみると、今はお一人で暮らされているとのこと。そのことを知って尚更、自分一人の為だけに鰹節を削ったり、お食事の度に土鍋炊きのご飯をお櫃に移されたりしているという、その時間はどんなにゆるやかなのだろうと、想像するだけで私は心が満たされるような感覚になりました。

時折息子さんやお孫さんが遊びに来る時には「ばあちゃんの味噌汁が食べたい」とリクエストされるそうで、所謂“母の味”だからということもあるかもしれませんが、やはり鰹節を削るところから作られたお味噌汁の味は格別の美味しさなのだろうと、彼らの幸せそうな表情が容易に想像できました。

手間がかかることと不便なこと

どのお道具も長く使われていらっしゃる様子が伝わってきたのですが、私も以前のブログ『長持ちの、ヒケツ』にて、長持ちするモノについて綴った際に鉄製の卵焼き器の話を取り上げました。お櫃も曲げわっぱも鰹節削りも、長く使うために使用前後に手間をかける必要があるというよりも、むしろそのお道具のために割くお手入れの時間、その時間からもたらされる豊かさがあるからこそ、長く大切に使うようになるのではないかなと改めて思います。

きっとこの方のお台所に電子レンジなんて置かれていないのだろうと勝手に推測したのですが、それを「便利なものを持っていなくて大変そう」と捉えるのか、「そんなものも要らないくらい豊か」と捉えるのか、どちらでしょうか。

この方の暮らしには、便利な家電に囲まれて暮らす我々には無い工程がたくさんあるはずです。それらの工程を「手間がかかる」と言うことはできますが、果たしてそれは「不便」や「面倒」なのでしょうか。私は、それらとはイコールではないのだと、お話を伺いながら思いました。手間がかかるとしても、この方がそれを不便に感じて高機能なのものに買い替えることはこの先も恐らくないでしょう。我々も、いつまでも楽をして便利なものばかりを使っていたら、考えることや工夫するということがどんどんできなくなっていくのではないかと、危機感すら感じました。

豊かさとは

さて、私はこの方と1時間近くも話し込んでしまったのですが(笑)、お話している間ずっと、そしてこの方がお部屋に戻られた後も、豊かさについて考えていました。どうしてこんなにも、この方の暮らしが豊かなものに映るのでしょうか。

昔ながらのお道具一つひとつへの憧れももちろんありますが、そのお道具を持っていることに豊かさを感じるというというよりも、そのお道具たちにかけられる時間があること、心のゆとりがあることに、豊かさの本質があると感じました。

お茶も毎日のように飲んでいるものだからこそ、手軽に適当に済ませてしまっているかもしれませんが、急須や湯冷ましで淹れて、手に馴染む湯吞みに注いだ美味しいお茶を想像してみてください。一杯のお茶を丁寧に美味しく淹れられたら、どんなに生活は豊かになるでしょうか。もしくは、いつものマグカップを今日は先にお湯で温めたり、水出しのお茶を一晩かけて抽出してみたり、自ら手間を楽しむ時間を作ってみるのもいいですね。