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大英帝国とお茶~お茶がなければアヘン戦争はなかった!?~|1899 CHACHACHA BLOG

2024/10/12 心の旅の話 古幡祐介

大英帝国とお茶~お茶がなければアヘン戦争はなかった!?~|1899 CHACHACHA BLOG


大英帝国とお茶~お茶がなければアヘン戦争はなかった!?~

世界の覇権国家大英帝国。世界中に植民地を持ち「太陽の沈まない帝国」とまで言われた国は、実は大の紅茶好きの国でした。あまりにお茶が好きすぎて経済が傾むいてしまうほどで、挙句の果てには「アヘン戦争」の原因にまでなってしまったのです。
もしかしたら、お茶がなければアヘン戦争はなかったかもしれません!
…このフレーズ、毎回言ってるような…使い回し?そんなことはありません!お茶がそれだけ人類の歴史に大きく影響を与えてきたということです!

ということで今回は「アヘン戦争」についてわかりやすくお話したいと思います。

大英帝国とは

大英帝国とは、16世紀から17世紀にかけて、イギリスが海外に植民地を築くことによって形成された国です。イギリスは商業や航海の技術を駆使し、さまざまな地域に進出しました。その後の18世紀から19世紀にかけて、特に産業革命が世界で最初に起こったことを背景に大英帝国は急速に拡大しました。

先の説明で「太陽の沈まない帝国」と紹介しましたが、それは、植民地支配が地球上のほぼ全時間帯に及んだことでどの時間でも常にその領土のどこかが太陽に照らされていると言われるほどに広大な帝国になっているということを言い表しています。

今回お話するこの19世紀の大英帝国は圧倒的な工業力と軍事力を誇り、「世界の警察官」の役割を果たしていました。

なぜ英国でお茶が人気?

そんな最強国家にも弱点がありました。
それはズバリ、「お茶」です!

お茶は以前のブログでもお話ししたように中国が原産国。ヨーロッパには存在しない植物でした。
そんなお茶を知らないイギリス人だったのですが、大航海時代イギリスより先にアジアと貿易していた国ポルトガルから、プリンセスが英国王室に嫁いできます。
キャサリンというその王女様は紅茶と砂糖をポルトガルからイギリスに持ち込み、毎日飲んでいたそう。
当時どちらも珍しかったためイギリスの貴族の間でこれが大流行します。
「有名人の○○さんが飲んでいる△△、美味しいらしいよ!」と、現代でもよく聞く流行のきっかけでとても分かりやすいですね。

こうしてイギリスでは紅茶を飲むことが上流階級のステータスになり、そこから一般大衆にも広がっていったのだそうです。
イギリス人にとってお茶は無くてはならないものだったのです。

お茶のせいで英国経済は大ピンチ?

しかし、この時代のイギリスはなんと、こんなに生活に欠かせなくなったお茶という物がどんな植物からできていて、どんな作り方で出来ているのかを未だに全く知らなかったのです。
すべてを貿易による輸入で手に入れていたことが理由でした。
しかも、ほぼすべて中国からの輸入によるものだったのです。
そんなイギリスの足元を見た中国は、お茶箱に石を入れて重さを誤魔化して売ったり、お茶の値段を釣り上げたりしていたそう。
それでもイギリスは中国からお茶を買う以外の選択肢がありませんでした。

さらにもっと大変な問題がありました。それは、「銀」の流出です。
当時の国際貿易は銀を使って売買されていました。
限りある資源である銀。にもかかわらずイギリスは中国から大量にお茶を買うばかりで、中国はイギリスから購入したい物は無いと言われてしまいます。
貿易赤字が発生し、どんどん銀が無くなっていきました。
時は以前のブログでも書いたボストン茶会事件の後、アメリカがイギリスから独立したことで更に経済的に厳しい状況になっていました。
イギリスがアメリカ植民地から銀を産出していたためです。

こうして大英帝国はお茶を飲み過ぎたせいで経済が悪化していったのです。

そしてアヘン戦争へ

ではそんな経済悪化をどう改善するか、ということでイギリスが考え出した方法は…
「アヘンを中国に売りつけること」でした。

中国が何もイギリスから買ってくれないことが問題ということで、使用されたのが「アヘン」でした。アヘンは当時イギリスの植民地だったインドの植物ケシの実から作られる麻薬で、本来は鎮痛剤として使用される医療用の薬でした。しかし、中毒性があり、濫用すると健康被害を引き起こす麻薬になる危険な物でした。それをイギリスは自国の植民地のインドに作らせ、大量に中国に輸出することで銀を中国から取り返そうとしたのです。つまり、お茶を飲むことはやめられないから、麻薬(アヘン)を買わせてバランスを取ろうとしたのです。

イギリスで紅茶が流行る一方、中国ではアヘン中毒者が続出する酷い状況になりました。

これに対して中国は当然アヘンの取締を強化したのですが、これに対してイギリスは難色を示し、英中関係は悪化します。
そんな時にイギリス人水夫による中国人殺人事件が起こりました。中国はイギリスに犯人の引き渡しを要求しましたが、拒否されてしまいます。これに怒った中国側が、貿易港のマカオを封鎖。
これが引き金になり戦争が始まりました。翌年にはイギリスは海軍を派遣。イギリス海軍は中国海軍を破り、主要な港を占領したため中国はイギリスの条件を受け入れ、1842年、戦争は終結しました。これが「アヘン」戦争でした。

この結果、中国は香港をイギリスに譲り渡し、上海などの港も開港することになりました。
このためイギリスはさらに多くのお茶を中国から輸入できる様になったのです。
まさにイギリスの思い通りの結末でした。

アヘン戦争の影響

アヘン戦争はその後の世界にも大きな影響を与えています。
現代にも残る「香港問題」もここから始まっているのです。アヘン戦争で香港は事実上イギリスの植民地の様な状態になったのですが、香港がイギリスから中国に変換されたのはなんと1997年で、歴史的に考えるとつい最近です。その間にイギリスの影響を受け続けた香港人とその他の中国人とで考え方が違うのも無理もないことではないでしょうか。

また、アヘン戦争は当時の日本人にもとても衝撃的な出来事でした。当時の日本は江戸時代。
中国が最強の国だと思っていたのに、結果はイギリスのやりたい放題。
この悲惨な中国の状況を江戸幕府の役人たちももちろん知っていました。そんな事件の後、アメリカからやってきた黒船が怖かったのも仕方ないと感じませんか?
そうして「日本も中国の様にならないようにしなければ」という思いで明治維新が始まったのです。

この様に世界に大きな影響を与えたアヘン戦争の原因は「イギリス人のお茶の飲みすぎ」でした。
お茶がなければアヘン戦争は起こらなかったかもしれません。