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お茶を世界で最初に発見した「神農」とは|1899 CHACHACHA BLOG

2024/08/24 心の旅の話 古幡祐介

お茶を世界で最初に発見した「神農」とは|1899 CHACHACHA BLOG

写真【湯島聖堂。敷地内に神農を祀った廟があります。】


お茶を世界で最初に発見した「神農」とは

皆さんはお茶を世界で最初に見つけた人物のことを知っていますか?
神農はお茶を最初に発見したとされている中国の神話上の人物です。中国では神農の存在を「史実」としているそうなのですが、神農のことを調べるとあまりにも人間離れした話が沢山出てきます。そもそもそれは紀元前2740年頃の話ということで、どこからが神話でどこからが史実なのか…なぜ日本茶検定などを勉強すると教材にこの神農が登場するのか…等々、謎の多い人物です。
また、レストラン1899お茶の水からほど近い湯島聖堂で神農祭(毎年11月23日)という神農を祀る行事が行われているそうです。
なぜ中国の神様が日本でも親しまれているのでしょうか?
今回はそんな神農についてお話したいと思います。

世界で一番古いお茶の発見神話

神農(しんのう)は、紀元前2740年頃に活躍した皇帝とされています。実在が確認されている王朝より前の時代で、三皇五帝(中国を形作った神や聖人)の一人に数えられています。つまり文献には出てくるのだけれど、古すぎて実在した物的な証拠のない時代なのだということになります。
神農のエピソードは、紀元前に書かれた思想書「淮南子」(えなんじ)、歴史書「史記」、8世紀ごろのお茶の専門書「茶経」など、多くの古文書にみることができます。120歳まで生きたと言われている神農が山中でお茶を見つけ、その解毒作用を他の薬草や毒草の効果の調査に使用していたとされています。

画像(湯島聖堂の神農像)

神農とは何者だったのか

神農は半神半人。人間である母親が旅先の華陽で龍神の霊気に触れて妊娠したとされています。つまり、神様と人間のハーフということになります!?
生まれた神農は成長が早く生後三日で喋り、五日で歩き、七日で歯が生えたのだそう。身長は八尺七寸(約2m60cm)にまで成長したと記録されています。また、身体は人間なのですが、頭は牛の姿をしていたとも言われています。
またその人間の姿をした胴体も普通の人間と違い、水晶のように透明で中の内臓などが見えたのだとされています。その透明さを活かし、口に入れた植物に毒があるかどうか等を確認できたのだと書かれています。
こういった説明から、おとぎ話だと言われても仕方のないことだと分かるかと思います。
では全くの架空の人物なのかというとそうではない様で、神農は古代中国の伝説上の帝王である三皇の一人であるとされているのだそうです。
もしかしたら偉大な人物の活躍を称える為の話が大きくなりすぎたのかもしれませんね。
とは言えお茶は中国が原産地。その時代にお茶の効能を知っていたということになり、お茶を世界で最初に発見したのは古代中国の人々で間違いないでしょう。

お茶だけじゃない神農の活躍

また、神農は医療と農耕の知識を古代の人々に広めた存在であるとも伝承されており、伝説によると、木材をつかって農具を発明し、土地を耕作して五穀の種をまき、農耕をすることを人々に伝えたのだそう。また、薬となる植物の効用を知らせたとされています。
薬草と毒草を見極めようと神農はまず赤い鞭でたくさんの植物を払い、それを口に入れて薬効や毒性があるかどうかなどを検証したとされています。そして毒に当たったあと、解毒の為に毎回お茶を使用していたのだとか。
つまりお茶は元々解毒の薬草であると認識されていたのです。
また、神農は農作物と他の物品との交換、交易も人々に教えたともされています。このことから関西地方では神農を交易の神様として祀っている神社もあるのだとか。

なぜ日本でも神農が祀られているの?

そんな理由から、日本では「お茶の神様」としてだけでなく、医薬の神、交易の神とされており、いくつかの神社で祀られています。
なぜ中国の神様を祀るの?と思いませんか。
調べてみると「融通王 弓月君(ゆづきのきみ)」が神農の子孫なのだとされていることにも理由がありそうです。
…弓月君って誰?という方もいるでしょう。弓月君は日本史の教科書にも出てくる人物で、古代(4世紀〜5世紀頃)に朝鮮経由で日本へ渡来してきたとされています。この人物は今日本で流行している映画「キングダム」で有名な「秦の始皇帝」の末裔であると言われており、さらにその秦の始皇帝は神農の末裔なのだそうです。
秦の国が滅亡した後朝鮮半島に逃れ、さらにその後日本に逃げてきたそうなのです。
自分には関係がないと思う方もいるかもしれません。しかし、次の話を聞いたらそうは思わないのではないでしょうか。
弓月君は朝鮮半島から渡来してきたリーダーなのですが、「応神14年に127県の人民を率いて来朝し帰化した」と記載があるそうです。ここで問題なのが人数です。120県というのは120人ではありません。この「県」とは当時の中国や朝鮮の単位で、「県」とは村が4つ程集まった単位なのだそう。村の人数も不明瞭であいまいな単位に感じますが、例えば一つの村が100人いるとすると127県は508の村だから人数にすると約5万8百人…これが正確な数字なのかはわかりませんがとにかくとても多くの人が日本に渡ってきたのです。
もちろんその全員が神農や秦の始皇帝に直接ゆかりのある人ではないと思いますが、古代中国「秦」の国に、そしてそのご先祖様である神農にゆかりのある人が私たち日本人にもすごく沢山いるのではないか…と感じないでしょうか。
そういった渡来人がご先祖様である神農を日本でも祀ってきたのではないでしょうか。

湯島聖堂神農祭

湯島聖堂は元々、江戸時代に孔子を祀る孔子廟として建てられたのだそう。その後、江戸幕府により幕府直轄の学問所になったそうです。
これが、現在では学問の神様を祀るパワースポットとして親しまれており、多くの受験生が合格祈願に訪れるのだとか。
ここには神農廟があり、その中には神農像が祀られているのだそう。
湯島聖堂の神農祭は勤労感謝の日でもある毎年11月23日に行われ、神農を祀った廟が一年に一度この日だけ開かれて一般の参拝が許されるのだそうです。その日以外は近くに立ち入ることもできませんでした。
この行事は周辺の大学や医薬関係の様々な団体が協力して行っているそうで、湯島聖堂の神農が医学・薬学の神様としての側面で親しまれていることがわかります。

写真(湯島聖堂神農廟前の写真。神農祭の日以外ではこの先に進むことはできません。)

画像(湯島聖堂神農廟。神農祭の日のみ一般公開されています。)

世界で最初にお茶を発見し、活用していた神農は中国の書物に数々登場し、様々な活躍を見せ、現代の日本でも神様として祀られているのでした。
次に緑茶を飲むときには、もしかしたら我々のご先祖様かもしれない人物に感謝を込めてみませんか。