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わっしょい!わっしょい!江戸三大祭りに集う人々の憩い。| 1899 CHACHACHA BLOG
2021/07/03 一服のお茶のような話 天心庵守のひとりごと
夏の風物詩は祭りに尽きる!
「わっしょい!わっしょい!」
大小の神輿をかついだ半被(はっぴ)姿の大人たちが拍子をあわせて威勢のいい声で掛ける「わっしょい」は夏祭りの賑わいに欠かせませんね。 だけど、実は私はこれまで「わっしょい」の意味を考えたことがありませんでした。
語源を調べても諸説がたくさんあって正しいことはわかりませんでした。ならば、私は勝手ながら「和一処」(わいっしょ)という、みなで一緒(一処)に力をあわせるという説をとることにしました。都会の暮らしは人との交流が乏しいといわれることもあるようですが、祭りどきはどこのだれだか互いに知らなくても、一斉にこの掛け声で一つになれるなんて江戸っこの名残はまだ廃れていないはずです。
江戸三大祭りといえば、山王祭、神田祭、深川八幡祭。
深川八幡祭か浅草例大祭の三社祭のどちらかという意見のわかれもあるようですが、ここではこの三祭にしておきましょう
山王祭と神田祭は江戸一盛大な祭りとして天下祭とも言われるそうです。
江戸徳川将軍の庇護を受けたこれらの祭りは今でも東京の名物祭りですね。
町を練り歩く豪華な山車が江戸城内に入り将軍の上覧を賜ったことから「天下祭」と呼ばれ江戸っ子たちから親しまれてきたそうです。のちに、この二大祭を毎年行うのは一大事ということで、天和元年(1681年)二つの本祭りを一年おきに交互に行うことになり、その慣習は現在も続いています。
レストラン1899お茶の水から徒歩15分ほどにある江戸総鎮守神田明神の祭礼神田祭は、京都の祗園祭と大阪の天神祭に並ぶ日本の三大祭りの一つとしても知られる二年ごとに開催される大きな祭りです。今は5月15日に近い日曜日から5日間執り行われていますが、以前は旧暦9月15日だったそうです。神田明神は、徳川家康公が天下分け目の関ヶ原の戦勝を祈祷し天下をとったことで縁起のよい祭礼とされ、江戸幕府が開かれてから幕府の尊崇する神社となりやがて江戸庶民に至るまで親しまれてきた神社です。
1899とさらに縁が深い祭礼は、近隣神田駿河台にある鎮守太田姫稲荷神社の大祭です。毎年、神輿の休憩所として1899の店先を提供するなど、1899の礎がこの地におりてからずっとこの大祭に参加しています。江戸城上洛の中心にある1899の地が由緒ある鎮守稲荷に囲まれているのを思うと、天災や戦時の苦難な時期も生き延び、今も1899の敷地内にしっかり根を下ろしている槐(えんじゅ)の木の生命力はこのお稲荷さまたちに守られてきたからだと感じずにはいられません。
レストラン1899お茶の水の周辺には江戸に因んだ沢山の名所があります。 当店にいらした折には、是非、散策がてら訪れてみてください。
1899江戸関連のブログはこちら↓
『御茶ノ水の由来』
『驚くことなかれ!1899はお江戸の中心地にあった! -1899のプチ名所探訪記-』
割烹着と線香花火
私ごとですが、今でも夏祭りで思い出されるのは久しく着る浴衣に背中帯のうちわをさして近所のお友達と盆踊りにはしゃぎながら出かけた子供の頃のことです。大きなおばさんたちの背中に並び輪になって踊りあかしたあとの私は、蚊取り線香の臭いが汗だくの浴衣に染み付いたのも構わず、甘く冷えた西瓜にがぶりつく容姿はもう女の子らしさなどというものは微塵もありません。ただただあの青臭い甘さの西瓜の汁が乾いた喉にすうっと流されていく感覚を今もはっきり覚えています。ここ数年の祭りは文明の進化!がすこぶる盛んで、花火すらもバーチャルやらマッピングとやらで、ときにあまりの大きいスケールに圧倒されます。でもその迫力は昔の数倍にもなっていて、花火も時を経ながら文明の力で風情の味わいが形を変えているのだと思えばそれなりに楽しめるようになりました。それでもやはり私は、あのか細い線香花火の時間の流れが愛おしいし、散り菊の優しい火花に心がほっとするのです。線香花火と大きな西瓜、そして蚊取り線香の臭い。それが私の夏祭りの思い出です。
みなさんの夏祭りにはどんな思い出が残されているのでしょうか。
はっきりした四季の移ろいをもつ日本は季節ごとに様々な祭りを行ってきたのですが、特に夏の時期は一大行事だったわけです。この時期の祭りを大きくしたのは、農業を営みとしていた日本の暮らしに沿っているようです。農業の田植えや刈り入れの合間ということもあって夏の時期はひと段落できるとき。その年の豊作の感謝や祈願が鎮守様に寄せられた人々の気持ちを思うと、今も続いている祭りごとがさらに深い意味合いをもって楽しむことができるのではないでしょうか。
私の知る限り祭りごとを行うときには、その地元の町内会が中心となって仕切っていました。
子供の時は、祭りどきになると近くの神社や自治会館でご近所のおばさんたちが大勢あつまって大きなやかんに麦茶やら番茶を作り訪れる人たちに振舞っていました。そのときの記憶が鮮明なのは、そのおばさんたちの真っ白な割烹着の姿があったからです。どの人も自前なのでしょうが、洗いが行き届いた真っ白さと糊を効かせた張りのある綿の割烹着は子供心にもかっこいいなあと思ったものです。オシャレな洋風エプロンも素敵だけれど、今でもたまに割烹着姿の着物夫人を見かけると見惚れてしまいます。割烹着を改めてよくみると袖口や着丈、襟ぐりや背中紐などなど和服にあった着心地と機能性が実に理にかなっていることがわかります。学校の料理実習で着せられた私の割烹着はあの当時はかっこ悪くて大嫌いだったのに、今では粋な江戸のおかあさんの台所姿には欠かせないツワモノだと心底思っています。
祭りごとには人々の祈りや願い、感謝の思いが沢山集っているのですね。
祭りを通して人々の交流が始まり町が賑わう。やがて町村を潤し人々の心にも抗いも薄れて安らぎが生まれてくるように思います。憩いがあってこそ人はやさしくなれるのかなとしみじみ思うのは、やはり歳を重ねただけの得をもらい、そんな繊細な心持ちがわかるようになりました。
1899のおもてなしは、ここを訪れるみなさんに心の憩いを大切に育んでいただきたいと願う気持ちから生まれてきます。ゆるやかな時間をご提供するのもそうした憩いがある空間でこそ創られる時の流れだからです。五感を解放できる優しさと安堵感は、1899という年月から繋がれてきた人々の助け合いや数多くの出会いが礎となり、そこから育まれきている私たちのおもてなしはそれほど長い時間と共にあるのです。江戸の祭りのはじまりをもっと綿密に遡れば、きっと1899の前衛となるスタッフとこの地を訪れたお客様との交流がどこかで見つかるかもしれませんね。
その歴史を知っているのは、おそらくレストラン1899お茶の水の店の脇にそびえ立つ槐の木だけかもしれません。
わっしょい、わっしょい。