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1899 CHACHACHA Blog

     

【BLOG】“庖丁を握る者”の矜持

2019/07/13 茶を食す話 hikaru no CHA

【BLOG】“庖丁を握る者”の矜持

突然ですが、皆さんは、

普段どんな気持ちで、何を思って、台所に立ち料理を作っていますか?

“たのしい”

“面倒くさい”

“やりがいがある” 

“むずかしい”

“毎日苦労する”

“大切な人へ作るもの”

etc・・・・・・

どうでしょうか。

作家の 幸田 文 が自身の台所仕事を綴ったエッセイの一節に、このようなものがあります。

氏が14歳の頃に手伝いから台所に立ち始めて、48年経った今に台所仕事を思い返す場面。

「まだこの先どれほどかのあいだも、私はやはりここに立って、野菜を洗い、庖丁をもち、火を使って、ささやかな作業をつづけようと思うのである。老いて、いつまでも、なにもそんな台所仕事など、苦労でしょうに、と娘は庇ってくれる。その思いやりは嬉しいけれど、首を横にふりつつ、私はつい微笑をうかしてしまう。苦労だと思ったこともあるけれど、そんな時期はもう通りすぎて、今はここでする作業も、ここに立つ気持ちも、落着いて、静かで、たのしいのである。私はここと縁をきりたくない。」

(台所 『暮らしの設計』より)

青木 玉  編纂 『台所帖』

幸田 文 の料理にまつわる短編エッセイ集。

面倒くさがって、家であまり料理をしない私にとって、

その 幸田 文 の言葉に、ぐぅっと頭が下がってしまいます。

そう…。

いつ最後に、台所に立って、レシピ本を手に取り、”何か作ろう”としたことも思い出せない。

庖丁は手入れせずなまくらにしてしまい、買った鍋はまるで新品同様のまま・・・・・・。

だから、毎日、自分のために、

あるいは、大切な人に、料理を作ることが出来る人は尊敬します。

ただ、ひとつ気になることが、、。

そんなにも、ずっと長く、家族のために料理を作りつづけた幸田 文が、

昔に感じることもあった“苦労”というものは、いったいどのようなものなのでしょう。

露伴の説教

氏の台所仕事に対して、そして料理に対しての、深い思い入れは、

氏の父親であり、尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる時代を築いた 小説家 幸田 露伴に 

よるものが大きいそう。

父の露伴は、”食”にかなり厳しく、

娘の幸田 文 は、そのエピソードを幾つか語っています。

「台所には是非とも音が生じる。その音を怖じたり恥じたりしないようになれ。厨房の音を美しくしろ、台所の音をかわいがれ。台所はたべるうまさをつくるところだ、うまい音があっていいはずじゃないか、とそういった。」 (台所の音 『きょうと』より)

「癇のたつような味のもので、酒を飲ませるな、と。癇のたつ味とは、塩からさにしろ甘味にしろ酸っぱさにしろ、度ぎつい味で、しかもそれがぞんざいな早ごしらえなものをいいます。こういうひどい味のものでご酒をのむと、癇がたち、お酒が荒れてくるというんです。」

「「切り目ただしくないもの」という教えもありました。これは調じる側からも、食べる側からも、ともに基礎だというのです。すべての材料の鮮度のことです。魚にせよ野菜にせよ、そのものの持つ本来の姿が正しく保持されていれば、したがって切り目も正しいが、その切り目が傷んで、そうあるべき姿を失っているものは、きびしく排除すべきたというのです。」

つまり、

“道具を大切に、集中して扱え”

“仕込みをおろそかにするな”

“食材の管理をしっかりしろ”

と、いうことでしょうか。

たしかに、これらは基本で、大切だけれど、

いや、より真剣に思う姿勢を貫いたからこそ、人一倍の”苦労”があった。

そんなふうに、私はひしひしと感じ、

自身も”食に対する姿勢”を”ピシッ”と正さなきゃ、と反省しました。

“庖丁を握る者”の矜持

同じく、日々「食」と真剣に向かい合い、”庖丁を握る者”として、

RESTAURANT 1899 OCHANOMIZUの料理人も、矜持を持って仕事をしています。

その一つである、「四隅の精神」

調理台、庖丁、まな板、流し、皿、器、それらの四隅を掃除して美しく清潔に保つこと。

真ん中は、誰だって拭ける。

だからこそ、手が届かない、目に入らないところを磨け。

料理をする場所を綺麗にしていれば、おのずと道具、庖丁の少しの汚れにも気を配れる。

手入れは行き届き、美味しくて安全な料理が完成する。

そして、普段からその「四隅」を意識すれば、

器に盛り付けた料理にも、”繊細な美しさ”を添えることができる。

これは刺身庖丁。

研がれ、いつも清潔な状態で、使用されています。

是非、読者の皆様も、当店のお食事を通して、

私たちの”矜持”に触れてみてください。

お昼のランチに、午後の一服に、大切な人たちとの食事に・・・・・・。

とびきりに美味しい料理をご用意してお待ちしております。

RESTAURANT 1899 OCHANOMIZU  と  料理長 大久保