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心に寄り添う 1899ことばの流儀|1899 CHACHACHA BLOG

2021/08/21 ゆるやかな時間の話 天心庵守のひとりごと

心に寄り添う 1899ことばの流儀|1899 CHACHACHA BLOG

オリンピアンの「ことば力」

先週、閉幕した東京オリンピック2020は競技の多くが無観客で行われて、これまでにないほど異例ずくめの大会でした。本来ならば最高の舞台に歓喜賞賛の声が響きわたるはずなのにそうした歓声もない会場で、勝負をかけた一瞬の試合に向けてアスリートたちはどうしてあんなに自分を鼓舞し挑め続けるのだろうとつくづく思っていました。その集中力たるや計り知れません。

そして私はこの大舞台でトップアスリートたちがインタビューで語る「ことば力」に、いつも心を動かされるのです。そうした言葉のいくつかは私自身の人生にも少なからず影響を及ぼすことさえあります。
あるオリンピアンが語った一言がとても印象的でした。
「・・・・あの一言がなければ、やめていました。」世界の頂点に立った金メダリストの言葉です。”あの一言”とは、彼が慕う師からの”たったひとこと”だったそうです。
「ことば」が暗闇のなかで大きな光を放つときって、何ら大げさな説得も要らず、ただただ心情に寄り添う気持ちが凝縮した言葉になったときにこそ、そっと背中を押せるのかもしれませんね。  そう、イソップ寓話の「北風と太陽」のように。

人と接する社会で生きていれば、背中を押された言葉も数々あれば、逆に、時間を留まらせるような傷つく言葉もありますでしょう。だからこそ、大きな力をもち得る”ことば”を不用意に発せず、明るく円満なコミュニケーション力にかえて幸せな人生を過ごしていきたいものです。

 

漫画・天才バカボン「これでいいのだ」の真意

みなさんの世代では、「天才バカボン」という漫画をご存知でしょうか?
初出は1967年というから知る人は少ないかな。
この漫画はバカボン一家の何気ない日々のふつうの暮らしのお話なのですが、長男の天才バカボンのパパときたら、何があってもいつも前向きで「これでいいのだ」で終わってしまう。

それがいい加減という感は全く無くて、あまりにも痛快すぎて「そうだな!これでいいのだ!」とこっちまでうなづいてしまう始末。嫌味が全くないのです。名言だなと思います。

私は、子供の頃からバカボンって「ちょっぴりお馬鹿さん」に愛情込めた呼び名だと思っていましたが、実は、ある諸説に「バカボン」は、仏教でいうところの「薄伽梵(ばぎゃぼん)」に由来しているというのです。その正誤はわかりませんが、
この作品を書いた漫画家・赤塚不二夫の弔辞をおくったタモリさんは、氏の考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れるものであって、その考えを見事に言い表したのが「これでいいのだ」だったと話されたそうです。
どんな逆境にもそこで怯まず留まらず、前向きに捉えられたらきっと明るく感じられるから、というのです。

そうしたいとわかっちゃいるけど、私のように修行が足らないものは
そう簡単にはいかんのですが。まさに「言うは易く行うは難し」です。

 

「病は気から」って自己暗示術?

子供の時から健康優良児だった私が鬼の霍乱(かくらん)で微熱がでるとそりゃ大騒ぎ。
母はあきれて「あ〜大したことない、ない!病は気から。」とあっさり交わされて取り合ってくれませんでした。だから今でも気楽に風邪も引けません。でも、確かに気のもち様というのは一理あるかもですね。

アスリートたちはよく「自分を信じる」「気合をいれて」と話されますね。もちろん、トップアスリートになるほどですから最良の技術は十分に備えている上でのことですが、技術とともに大切なのはそうした「気」を入れて内なるものを力に変えていく。そうした体感が敏感にわかるのでしょうね。 あるアスリートが試合直前のウオームアップでいつもノート片手に何かメモをしていました。直前になればなるほど緊張と高揚が高まるだけに、言葉にして書き下ろすというのです。 

「ことば」は自分の内にながれる気を奮いたたせてくれるいいおまじないでもあり得るのだと私は思っています。 ただし、その魔術が負に働かないように自制していかなければなりませんね。

 

「ことば力」は「コミュ(ニケーション)力」

「ことば」って一体何者なのでしょう?

言葉でなくても伝わることだってあるはずです。
「目は口ほどにものを言う」とか「以心伝心」ということわざもあるくらい。

もしかしたら言葉そのものに力があるというよりも、そのときの自分の心情に寄り添った「ことば」に出会ったときに、私たちは少なからず心を動かされるのではと未熟ながらも思います。

私にとってハイキングの醍醐味は山林の景色も然りですが、見知らぬ人たちでも笑顔で「こんにちは」と挨拶を交わし合うことです。その後の会話もなく通りすぎるだけで、もう会わないかもしれない一期一会の挨拶です。 でも、たったそれだけで、穏やかに心が明るく解き放たれていきます。 逆にこちらが挨拶しても、無言ですれ違う人がいると一瞬でも足取りが重くなります。

「こんにちは」の一期一会の挨拶は、”この山林を一緒に共有しているお仲間”というようなコミュニケーションの一つかもしれません。互いに労い、”どうぞお気をつけて””頑張って楽しく歩きましょう”という感じの声かけかもしれないですね。

1899でもこれまで当店を訪れたお客様から数多くの「ことば」に励まされてきました。
「ありがとう」「今度は家族と一緒にまた来ます」「ARIGATO」「SAYONARA」

私たちもお客様の視線にたち、そっと寄り添うような言葉と眼ざしをお届けできたらと
想いながら、毎日、気持ちを新たにお客様との出会いをお待ちしています。

何気ない言葉でも一瞬でも同じ時間を共に過ごさせていただいたからこそ生まれたこれらの「ことば」はいつまでも私たちの心に深くそして静かにゆるやかに流れています。
そう、何よりも強い力となって。

これからもたくさんの言葉の引き出しを積み重ねていけるのを楽しみにしながら私たちみな、日々愉しく過ごしています。

今回もここまでCHACHACHAブログをお読みいただき、本当に有り難うございました。

一期一会