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”それでも”春はやってきた! やさしい陽ざしとの対話より。| 1899 CHACHACHA BLOG

2021/04/03 ゆるやかな時間の話 天心庵守のひとりごと

”それでも”春はやってきた! やさしい陽ざしとの対話より。| 1899 CHACHACHA BLOG

いよいよ春到来です。

ほのかなニッキの香りを運ぶ黄色い菜のはな、川下に儚い花びらを落としながら短くも精一杯咲ききる桜、小学校の入学式しか思い浮かばない赤白黄色のチューリップが家路につく街角を彩どり豊かに包んでくれます。 この数年、春より落ち着く秋に心変わりがありましたのに、今年はいつになく長引く不確かな生活を拭うように春爛漫の彩どりに心を躍らせています。

さあ、ご一緒にエネルギーいっぱいの春の季節を満喫しましょう。

だれに気づかれなくても足元で精一杯けなげに咲ききる草木花が私たちを迎えてくれています!

今回は、やさしい春の陽射しを浴びながら、ゆるやかな時間のなかで戯れた私と春うららの対話です。


< 採りたての無農薬野菜がやってきた!>

昨年末から、年齢による身体の変化も相まって、これまで以上に食べることを大切にしています。自粛生活をしていることで外食もかなり減り、おかげで日々の食生活を見直すことができています。

ある日、群馬の知人が送ってくれた無農薬野菜の味の濃さが忘れられなくて、近隣の産地から定期的に無農薬野菜を取り寄せています。その味には肥沃な土壌で育てられ自然のエネルギーがいっぱい詰まっていて、言葉では表せないくらい。 届いてすぐに軽く水洗いをして何もつけずに食べるもよし、うまく熟成が進んでいるぬか床で漬けた根菜は家族に大好評です。

農家の人たちは、こんなにおいしい食生活をしているんだな、と羨ましく思えるほどでした。

ですが、羨まむのは浅はかなことです。農家の方々は、厳しい自然環境と共存しその過酷さに苦労されている姿を真に理解できていないわたしのような知足に欠けたものいいなのだと反省し、送られた野菜を残さずにありがたく食べきることでせめてもの恩返しをしています。

食べることは生きること。 心身ともに健康であることの大切さを噛み締めています。

愛読書「野菜の便利帳」は、自己流!免疫力アップの食生活を継続するには心強いサポートブック。
自分の食べるものの栄養を知ってると知らないのとでは味わいすら変わってきます。
千葉で育った野菜たち、群馬片品村の農家から利根川の源水とえごま、ようやく味が落ち着いてきたぬか床。

< ゆるやかな時間に和みながら >

週末の朝、窓から差し込む春の陽ざしは本当にゆるやかな心もちを温めてくれます。

いつものように365日欠かす事のできない朝茶を一服しながら、ことしの新茶を楽しみにしています。 ゆっくりした朝は、その日の気分に合わせて急須と湯のみも変えています。

ゆるやかな時間がもてるときは、ちょっと贅沢に玉露をじっくり味わうのが私の和み。

文豪夏目漱石さんも愛した玉露をいただくときは、慌ただしいときは御法度で、落ち着いた時間と心もちが整ったときに、ゆっくりと流し込み口の中で転がすように露を行き渡らせなければならないようです。

< 母との戯れ 百人一首 >

米寿を迎える母の脳トレにと、何を思ってか百人一首をプレゼントしました。

子供の頃に、母の嫁入り道具の一つだった百人一首のかるた読みをして一緒に遊んだ思い出が深かったのもあり、心身老いてやれることが少なくなっている母にはいい刺激になるかと思ったのです。

早速、探し始めると、書店の小学生の学習コーナーの最前列で数種類の百人一首が売られていました。今の時代にも受け継がれているのだと知り、何とはなしに嬉しくなりました。

歌集を読む母の声は軽やかで耳障りがよかったのか、小さき私の体にすっと染みいったお気に入りの歌集は、今でも自然と口ずさむことができます。 

私の思い出にある百人一首かるた読みは、小さな我が家の縁側で春の木漏れ陽を浴びながら、母と過ごしたゆるやかな時間の戯れです。

今朝の茶器は、南景製陶器の急須と湯のみで。和洋に使い勝手ができて贅沢な時間を演出してくれる

<  新たな愉しみ 「陶芸」テマヒマのじかん >



「はじめに作った器が一番いいと思えるんだよ。」と先生はおっしゃる。「なぜですか?」と私。
「欲がでてないから。」と先生。 果たしてそうだろうか。。。

食べることを大切にしたいと思うことのもう一つに、自分でこさえた器で食べたい思ったのはやはりこの一年の出来事のなかでした。そろそろ自分の好きなものだけ身辺に残して、あとは少しずつ整理をし始めようと思った矢先の思いつきです。

都内にしては珍しいほど大きな敷地に構えた近隣の陶芸教室に通い始めて数ヶ月。やはりこの教室にも、長い窓から陽がいっぱい差し込みます。贅沢な空間と静かな時間のなかで自然の土に触れながら思うままに無心で手を動かす体感は、これまで忙しく急いてばかりいた私の尖った神経をちょっきんと切り落としてくれるような感覚です。

基礎知識は惜しみなく教えてくださいますが「自由に思うままにつくりなさい」と言ってくださる先生に甘えて、好き勝手に器づくりを愉しんでいます。私の陶芸づくりは、これからも轆轤(ろくろ)でなく手びねりにこだわりたいと思っています。思うままに手を動かしているうちに、内面にある心模様が土に型取られているような面白さを味わいたいからです。

手は最高の道具。テマヒマかけてできあがった幼い器ですが、春の旬野菜を盛りけていただく味わいは高価ではないけれど自分だけのものになりました。

そして、陶芸で発見できたこと。

土は、やり直しがきくことです。

恥ずかしながら、肩ひじ張って生きてきた私には思ってもみなかったことです。「やり直しができる」ことを実感できたことは、とても貴重な体験でした。 なぜって、この年になっても、ちょっと大胆な挑戦をしてもいいかなと思えるようになったからです。それも気楽にね。

押して〜もダメなら、引い〜てみな🎶・・この歌詞が唄えるのはもう私の世代ぐらいかしら。

そうです、こんな風に楽しく前向きに人生もやり直しができると思えば、長引く不安な自粛生活もいい見直しの絶好の機会と思って、あれこれ創意工夫でやってみるのも得策ですね。

ただしー

やり直すということは、いい方向に向かって改善すること、という戒めだということをどうぞ忘れずに。

やさしい春の陽ざしは、今年もこんな優しい対話を私に運んでくれました。

一期一会