1899 CHACHACHA Blog
【BLOG】「しあわせのものさし」でみなおす自分のこと。-リモートワークで気づいた3つのこと-
2020/05/09 ゆるやかな時間の話 天心庵守のひとりごと
今朝はいつになく目覚めが早かったので、こうして時間があるときこそお抹茶をたて、
皐月の陽ざしを浴びながら自宅のベランダでゆっくりいただくことにしました。
とても静寂な時間です。
ここから一歩踏み出せば、世界中が見えない恐怖によって、私たちのふつうの暮らしが脆く崩されています。
進化しているはずの社会生活が立ちどころに遮断されてしまい、まるで人生ゲームのように振りだしに戻されているかのようです。
自分のこれからの生活だって、きっと確実に以前とは何かが変わるはずです。
経済の高度成長期から私たちは、ずっと仕事が主で、自分の生活が従であると思ってきたと言ってもいいと思います。 その常識が余儀なく覆されました。 私も含めて多くの人たちがテレワークを実践したことで、新たな発見ができているに違いありません。 そのことで、これからの働き方にもっと多様な選択肢がうまれていくのではないでしょうか。
今回の自粛生活で、皮肉にも、自分をみつめる時間がたくさんできたことは良かったと思います。
つかず離れずのいい関係。—ソーシャルデイスタンスに思うことー
今は、私たちの命と安全を守るために社会・人との距離を取らなければならなくなりました。
私も余儀なく自宅待機になって全ての仕事をテレワークでこなしています。
近年、デジタル技術の進化で、多くの分野の仕事がどこでも自在にできるようになりました。
しかもよりスピーディーに。 メールのやり取りも手のひらにのる携帯でほぼ間に合うし、望む望まざるに関わらず、私もたくさんの恩恵を受けています。
人との関わりかたはどうでしょう。
昔に比べて希薄な時代になったといわれているけれど、本当にそうでしょうか。
電波さえつながれば、今や24時間いつでも世界中の人と交流することができます。この点では、今回の事態で本当に大きな賜物だと感じています。会うことが叶わずにいる家族や友人の安全をリアルタイムで知ることができます。時代や手法が変わりましたが、人びとの関わりかたはそれほど希薄になったとは感じていません。
テレワークにしても満員電車で出勤するストレスが省ける分、自分の裁量で時間を有効活用すれば、仕事に対してもより効率があがりもっと士気が上がるかもしれません。おうち時間が増えてから店頭のガムやコーヒー、エナジードリンクなどの売り上げが激変したそうです。
なるほどね、それって働く人たちのストレス軽減の道具だった!
時間の速さと質は比例している?
一方で、物ごとには常に表裏があるものです。
これだけ便利になってむしろ効率がよく余暇の時間が取れるようになったのにと思うのですが、プレミアム世代にとっては、どう転がってもこの便利さが良いことだと受け入れられない人もまだいるようです。 そりゃそうですね、同世代の私にはわかる気もします。代弁すれば、オンラインを使う=簡単に済ますというとらえ方で、礼を尽くし「てまひま惜しんで」という作法ではありませんもの。 私だって、人間が手間と時間をかけたものには、たとえAIロボットでもかなわないものがあるはずだと思っていたいですが、テレワークをしてみてオンラインの便利さに敬服。結局は、新旧それぞれのいいとこ取りができればいいと寛容になれました。
ただし、良い選択ができるように常に見極める目を養うことは肝に銘じておきたいものです。
いくつになっても勉強ですね。
しあわせのものさし「自分なりの及第点をもつ。」
自分の人生の轍(わだち)を眺めてみて、これまで自分に都合よく得てきたものや、知らぬまに失ったものが山ほどあることに改めて気づきました。
けれど、さほど後悔もありません。
仕事のこと、社会・人とのかかわり、家族のこと、自分のこと。。。。楽しいことも哀しかったことも走馬灯のように駆け巡ります。
生きてきた時間が増えた分、気力だって体力だって若い人のように持続しなくなりました。
がむしゃらに動いたところで、それこそ息切れして空回りするに決まっています。その分、経験値が増えたおかげで少しは賢く真っ向から勝負はしません。
人とのお付き合いも八方美人になるのではなく、嫌われることも覚悟して心地よく共有しあえるお友達との交流が増えています。 そのほうが付き合う数は減りましたが、いい頃合いで深く信頼し合える関係が築けてしあわせです。
人を羨まず、妬まず、欲張らずです。
私は、色々あって心が荒んだときは、自分はこれくらいでいいんだと思える“しあわせのものさし“をみるようにしています。 決して無力だからと諦めるのではなくて、世間が決めた合格点に振り回されず、自分が決めた合格点に自信をもって前進できた方がいいから。
満杯になった湯飲みには新しいお湯を注ぎいれることができません。
全てを手にすることはできないものです。だから、手放すことも必要なのですね。
足るを知ってこそ、仕事も人生も、豊かさに必要なだけのお金もバランスよく活かされていくのだと思っています。
目に見えない尺度を測るのはとても難しいことですが、人生ゲームのように一進一退しながら鍛錬していきたいと思っています。
自粛生活がもうしばらく続くようですが、私たちは雨風しのげるおうちの中で健康で安全に過ごせることに心から感謝します。
徒然とこんなことを思いながら、五月晴れの空のもとで一服のお茶とともにゆるやかな時間が過ぎています。
どうぞ皆様もご自分の手のひらにある今のしあわせがこぼれないように、ゆっくりと温かく育んでいかれてください。
一服の抹茶。あくまでも自己流。でも、それでいい。
PS:
外出自粛規制の中、花屋を営む知人が始めたオンラインレッスンに初挑戦。
たくさんの人が創意工夫をしながらこの逆境を乗り越えようとしている。
おうち時間で楽しめたひとこまでした。
宅配で送られてきた花々。一瞬で心がほころびました。
枯れ始めた花でも最後まで見届けたいと別の器に差し替えました。
自然の生命力にすくわれます。