1899 CHACHACHA Blog
【BLOG】リラクゼーションは、仕事の活力! 何もしない時間は、無駄じゃない!
2020/04/04 ゆるやかな時間の話 天心庵守のひとりごと
昨年末からいつになくとても多忙な日々を過ごしていて、このところ心身ともに疲労困憊状態でした。
かといって、とてもものごとがはかどったかというとそこまでではなくて、ただただ時間に追われ一日があっという間に終わっていきました。
そうなると心は正直なもので、否定的なことばかりが見えてきてため息ばかり。
ドツボにはまるようになって、う〜ん、これはいかんぞ!
そこで思い切って、強制的に仕事生活から離れてみることにしました。
進行中のお仕事は、時間を見ながらテレワークで進めることで解決させました。
さあ、想いがかなって待ちわびていた数日のオフタイムが始まりました。
ところが、嬉しい休暇が始まった途端に。。。。
休暇が始まった朝、「な〜にもしない一日」で嬉しいはずなのに、数時間過ごすとじわじわと心が落ち着かない。
「さて、今日から何をしよう。」 いやはや、弱気なことを吐き出した?というわけではないけれど、若い時分からこれまで多少とも心地いい気分で時間に追われながら(これを「生き甲斐」としよう!)手際よく物事をこなしてきたつもりと自負しているので、突然、自分都合でない自由時間に放り出されて何かの予定がないと全く戸惑うわけです。(恥)おまけに自分から言い出したものの慣れないテレワーク(遠隔作業)で余計な心配が打ち寄せてくる。一人だけ取り残こされないだろうかとか、私がいないとできないのではとか、云々かんぬん。全くおこがましいものです。
今のところ、スタッフの皆さんは私のそんな心配は全く意に介さずうまーく回っているわけです。高度なデジタル技術が発展したおかげで、バブル世代のこの仕事人間もやっとこさ若い人たちに介護されながら居場所を見つけられています。本当にお陰さまです。
時間の感覚って、不思議なものです。
先ほど、“いい気分で時間に追われていた”と綺麗ごとを言ったのも、今になってみれば「ああ、あれは生き甲斐だったな」と今、振り返ってみて感じるからなのです。子育てしながら仕事をしてた時は、1日の時間が本当に足りなくて、おまけに心身ともに疲労困憊。あの頃を思い出しても、いつも走ってばかりで、ゆっくり歩いていた記憶がない。もちろん、生活の便利さはどんどん進化していった時代ではあるけれど、何もしない時間が記憶に強く残るほどないのは、きっと心の余裕が私にはなかったのですね。
そんな人生を過ごして、今は、ゆっくりひとり暮らしを謳歌しているはずなのに、予定していない空き時間ができると「あれっ?どうしよう。時間を無駄にしてる。もったいないぞ。。。」と思ってしまう始末。
自然のなかではボケーっとできるのに、家に閉じ込められると“何もしない”ことに慣れていない自分がいるのです。人にはリラックスしてオン・オフと大切にと推奨していながら、いざ、自分ごとになると情けないものです。
で、結局、どうしたかって?
まずは、ひと呼吸。
そして、リビングのど真ん中に立ち、自分の生活をぐるり見回してみます。
普段、気がいかないところに気持ちを向けてみると、やり残したことや新しくやってみたいことがフツフツと湧いてくる。まずは、今やりたいこと、後回しにしていいことを消去法で線引きしました。結構「今すぐに」となると、普段、余裕を持ってものごとを進めていれば、そんなにないものです。
そして、敢えて何もしない時間の空間を感じてみることにしたのです。まずは、私はヨガを少しするので久しぶりに無の感覚を取り戻すことにしました。音楽もかけません、携帯電話も横におかずに、窓から差し込む日差しと青空をみながら優しいときを感じます。
近所で咲き乱れている菜の花のシナモンのような香りをほのかに感じます。
そして、書棚に並べてある本をもう一度読みたくなりました。
数度目なので、大雑把に拾い読みですが、都度、読むときの自分の環境と時代で感じ方も変わるものですね。同じ物語が新たな背景に変わっています。
突然、与えられた余分な時間が、戸惑いから心の充足に注ぎ込まれたときの流れとなりつつあります。
改めて、気づいたこと。
「あ、これでもいいんだ。」って。
‘何もしないことに申し訳ない気にならないこと。’
リラックスすることは、リノベーション思考をつくり、それは重要な仕事のための大切な「活動」だと、ある経済学者が言ったそうです。仕事人間で過ごしてきた不器用な私には、少し気持ちが救われるようないい教えです。
テレビをつければどこの局でも1日中新型コロナウイルス影響の膨大なニュースが飛び交っていて本当に恐怖と心配で苛まれます。海外の知人たちとも互いの状況を労いながら、このカオス時期を乗り越えて前向きにいこうねと励ましあっています。できないことをあっさりやめるのではなく、逆境からやれることを見出していこうよと。
フラメンコのカンタンテ(歌手)である彼女が外出禁止令がでた夜に家の窓から近隣の人たちに向けて歌を贈り、拍手でこたえた人々の動画を送ってくれました。何もできないのではなくて、できることをみつけて楽しむスペインも大変な感染国になりました。自分ごとのように同じく彼らの仕事や生活を心から案じていますが、やるだけやって、あとはなるようにしかならない!と、でんと構えて笑顔をくれた彼女の頼もしい心持ちも本当にいい刺激です。動画の最後で、ママが歌い終わると彼女の幼いお嬢ちゃんが「オレ〜ッ!!」と大拍手してパパとママに抱きついていました。そんな笑顔いっぱいの光景がささやかながら私の気分を和らいでくれました。
その一瞬は24時間の生活のなかで、さもすれば無意識に流れていく出来事だったかもしれません。けれど、気づきの一瞬がささやかながらも温かい英気となって人生の大きな贈り物になることだってあると思っています。
その贈り物が届いたときに気づくか否かは私の心持ち次第だな、と感じたこのたびの
「ゆるやかな時間」でした。
PS:一日の生活で少しの時間でいいから肩の力を抜いて深呼吸をし「ゆるやかな時間」を手に入れたらいかがでしょうか。自宅でゆっくりいただく一服のお茶は、きっと心に栄養を贈ってくれることでしょう。