DELI&BAR 1899 TOKYOにて
先日ネットで調べものをしていた時、とある茶業界のサイトであなたは本当に日本茶好き?という挑戦的な文言と、「日本茶依存度判定テスト」なるチャートに出会いました。興味津々でチャートに挑戦すると、、、総合0点!あなたは、日本茶に興味なさそう…です。
~いかがでしたでしょうか?
「依存度」が低かった方は、当サイトで日本茶の勉強をしてみてくださいね。
とのコメントが返ってきて、
当コンテンツの編集長としてはかなりショックでした。
昔々、お付き合いしていた彼女に
「ネエ、本当に私のこと好きなの?」と問われ、
「ウ~ン、顔かな…」との答えに
「0点!」と返された時のような衝撃でした。
本当にお茶のこと好きです…。
現に今もお茶を飲みながらこのブログを書いているのですが。
信じてください本当です!
と主張すればするほどに嘘っぽく感じてしまい、
自分のことなのに「本当にお茶が好きなのだろうか?」と疑ってしまいます。
そもそも「好き」とはどういうことか考えてしまいました?
この「好き」というテーマ、
人間にとって永遠のテーマのようで紫式部さんの時代から延々と語られています。
文学、哲学、心理学、経済学、経営学などのアカデミックなアプローチから、ドラマ、映画、落語、漫才、コント、マンガ、瞬間動画、画像、コラム、ポエム、ブログなどのコンテンツ、はたまた女子会から中学男子の恋愛談義までネタは尽きません。
好き過ぎて、嫉妬の炎を燃やして化けて出るのは、一種の中毒、禁断症状なのでしょうか?
「可愛さ余って憎さ百倍」ですね。
好きもあれば、嫌いもあるから「好き」が際立つというのがあるかもしれません。
例えば仮想敵を作ると結束が高まるというのは為政者がよく使う常套手段ですね。
人を好きになる恋愛と、モノに執着するとか、一種の習慣的な趣味の意味は違うだろ?
というかもしれませんが、
趣味に合理的な目的がないように、恋愛にも合理的な目的はありません、
結局「好き」という感情に違いはないように感じます。
もちろん、
目的のある打算の愛もあるでしょうが、大抵は「好き」に切っ掛けはあっても、明確な理由はありません。
「好き」に理由を求め始めた途端(疑う?)、
「本当に好きなのだろうか?」と悩み始めます。
特に最初の「好き」は錯覚です。
逆に「嫌い」も錯覚です。
「愛は盲目」
逆に
「坊主憎けりゃ袈裟までも」
これを「大好き」にするにはコツがあります。
愛人全員に「お前が一番好きだゼ」というのは大問題ですが、
趣味だったら何ら問題もありません。
お茶も好きだし、コーヒーも好きで何が悪いのでしょうか?
そして、それはシーンによって「お前が一番好きだゼ」なのです。
いえいえ、冒頭のチャートに対する批判でありませんよ(笑)
好きなものがたくさんあった方が人生幸せだと思うのです。
そして、「大好き」をたくさん作るコツです。
ご存知の方も多いと思うのですが、ビジネスの現場でもよく出てくる法則に「ザイアンスの熟知性」というものがあります。
単純接触効果と呼ばれ、
「人は知らない人に対して攻撃的になる」
「接触回数が多いほど親しみを感じる」
「相手の人間的な側面が見えると感情が深まるなどの心情を示す」
という米国の心理学者ロバート・ザイアンスが提唱した理論です。
以前書いたブログで紹介した
お茶に含まれるアミノ酸などのうま味成分は、味覚的に苦みや渋みを感じるので、最初の内は「まずい」と思うのだそうです。
実は飲み続けることによって「おいしさ」を理解、獲得していくのです。お茶の「おいしさ」は学習することにより、後天的に覚えるものだということです。
つまり、お茶は飲めば飲むほど「おいしく」なるのです。
に通じるものがあります。
※「忙しい貴方へ、ストレスにはお茶が効く」編集長M
以前に友人のジュエラーが、
「ジュエリーやアクセサリーはその物の貴金属や宝石としての価値よりも、いつ誰から、どこで買ったか、貰ったかのシーンが大事で、それを象徴するデザインというのがジュエラーの腕なんだよ、つまりシーンメイクなんだ」ということを話していました。
「大好き」をたくさん作るコツとは、「好き」の理由を探るよりも、もっと知ること、そして楽しむシーンを意識的にたくさん作ることが大事で、頭で考えるよりも、行動ですネという話でした。
「愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとは言えない」
ゲーテ
PS1
冒頭の「日本茶依存度判定テスト」はこちら
お茶を知るには、とてもよいサイトです。
↓
東京都茶協同組合
PS2
1899ティーカレッジの「もっとお茶を楽しむ」ワークショップがHOTEL 1899 TOKYO内の1階で開催予定です。次週に情報をリリース予定ですので、お楽しみに。
「お茶と共に過ごすゆるやかな時間」を…
了