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1899 CHACHACHA Blog

     

【BLOG】縁側のある暮らし ~温故知新~

2019/08/10 ゆるやかな時間の話 太田菜穂子

【BLOG】縁側のある暮らし ~温故知新~

木漏れ陽が差し込む縁側ではたきをかけていた母が手をとめて、幼稚園の先生の名前を正しくいえない私に「オオブボじゃなくて、オ・オ・ク・ボよ。」と何度も繰り返し教えてくれたあの光景をなぜか今もはっきり覚えています。

当時、5人家族が暮らすには小さすぎるくらいの我が家だったのに、一つの部屋にもならない細く短いあの縁側がなぜあったのだろうと思います。

それでも末っ子の私にとっては、兄たちに邪魔されない唯一の居場所だったのです。夏は風通しがよくて涼しかったし、冬は昼間は陽だまりで戯れて、夜になれば襖(ふすま)を閉めて外の寒さを遮ってくれました。そんな小さな襖二枚程度の縁側でしたけれど、都会ではいつのまにか多くの家屋から縁側は見られなくなりました。

 

子供の頃、隣近所のおうちにも大抵、庭に続く廊下や縁側がありました。

近所のおうちに遊びに行くにも玄関から入るのではなくて庭を通って縁側からよく家に上がりこんでいたものです。

ぴかぴかに磨かれた縁側の奥のお部屋から、「なおちゃん、またきたの?あがってらっしゃい。」とお隣のおばちゃんの優しい声がして、私は腰ほどまである縁側をよいしょっと、つっかけ(履物・サンダルのこと)を脱いでよじ登ったものです。ちょっと気が進まないときは、縁側にちょこっと座り、地面に届かない足をぶらぶらさせながらお庭に咲いた紅い実を眺めていました。

夏の今頃になると、縁側で炊かれた蚊取り線香と庭先で遊ぶ線香花火の匂いは、私の子供時代の忘れがたい風物詩なのです。

あれから私も時代も大きく変わり、ご近所はほとんどモダンでハイカラな家に建て替えられて縁側を見かけることはありません。

いつのまにか私たちは縁側の空間を無駄なものと思うようになって、

何もない空間の豊かさを感じることができなくなってしまったのでしょうか。

確かに建築法も変わり土地を有に利用することで縁側の空間は廊下と化して

ただの通路になってしまったようです。廊下を設ければ鍵のかかる個々の部屋が独立していいのかもしれませんが、私はそのほうがもっと空間を無駄にしている気がしてなりません。特に都会の住居空間は扉の開閉に必要な廊下を設けることでより部屋が小さくなっていると思います。

縁側はそもそも空間の隔たりを曖昧(あいまい)にした日本人特有の美意識と暮らしと風土からうみだされた素晴らしい様式だと私は捉えています。

その縁側はふすま障子で外と内の空間が自由自在に使い分ける用の美とともに存在しているのですね。近代化が進み時間に追われる生活の中で、私たちは機能性ばかりを重視しすぎて、いつのまにか暮らしに一番必要な心の充足を与える用の美に目を向けなくなっていったようです。縁側で風を肌で感じながら

ただただ寛ぐ時間がどれほど心を包んでくれたのか、私たちの

生活に縁側をもてなくてもそんな感覚をもう一度思い起こしてみたいものです。

喧騒な都会暮らしに身をおいている若い方々にも、せめて1日の数分でもいいから自分の五感を心の縁側において自分にあったゆるやかな時間(とき)をみつけてもらえたらと願うばかりです。一瞬を大切に。

PS:
ホテル1899東京では、お客様に滞在中の短いお時間でもゆっくりくつろげる空間と時間をご提供したいとの想いから、客室にENGAWAとIORIと名付けられたお部屋をご用意しております。


<1899 HOTEL TOKYO スーペリアダブルルームENGAWA>

また、ホテル1階のCHAYA 1899 TOKYOは、「縁側」のデザインイメージを施し、人々が集い交流する賑わいの場としてお迎えしております。お客様の思いに任せて1899のゆるやか空間を心ゆくまでお楽しみくださいませ。 

<CHAYA 1899 TOKYO>